◆第16号 明治生まれの祖母のこと
【 不惑直前! 人生の折り返し地点にて、しばし振り返りを】
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◆ 今日のコラム ~ 明治生まれの祖母のこと ~
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◇ 明治26年9月24日生まれ 平成2年1月2日 死去 享年97歳
重い話が続いたので、今日は祖母の「武勇伝(?)」をお伝えしようと思う。
予定通りのコラムをお待ちいただいた皆様、ごめんなさい。
今日話題にする祖母は、「母の母」。
今で言う、和歌山県新宮市の庄屋の一人娘として生まれ、
ずいぶん可愛がられて育ったらしい。
成人して後、祖父を婿養子に迎え、3男4女を育てた。
私の母の病気を機に、祖父母は信仰を始め教会を設立。
そして母も父との結婚時、姓だけを変えて父を婿養子のように迎え、
2世代同居を始めた。
とはいえ、戦争前後や教会という性格から、
常に何家族も同居していたそうだ。
家族・親戚・信者・困っている人々、
それらを束ねていたのが、この祖母であった。
◇◇ 口伝え
父が入院し、母が教会の所用に家を空けるようになってからは、
祖母が私たちの母代わりだった。
髪をキュッと結い、衣服は常に着物の上にかっぽう着。
はきものは下駄かぞうり。
煙草盆を側に煙管をくゆらし、毎夜1合の晩酌を楽しむ
【粋なおばあさん】 だった。
祖母は、今失われつつある大切なことを、折々に聞かせてくれた。
● 幸せは、春の桜に秋の月。家内そろうて、三度喰うめし
いつも不満を口にする私たちに、「幸せ」の本質を教えてくれた祖母。
それは、ごく当たり前の暮らしの中にあるということ。
自然の恵みはもちろんだが、匹敵するのは家族の語らい。
楽しい食卓で、その日の出来事を話す時間。
幸せとは、なろうとしてなれるものではなく、心で感じるもの、だと。
お金がたくさんあるから得られるという類のものではない、と。
高校生当時は「うるさいな~。」って思っていたけれど、
現代のひずみって、
家族で食事を取らなくなったのが一因であることは間違いない。
●幸せは、春の桜に秋の月。家内そろうて、三度喰うめし
他にも口癖は、
「光陰、矢の如し。」
「もったいない、もったいない。」
『教育勅語』・『論語』 など、たくさんある。
米寿を過ぎた頃から、【まだら呆け】が始まり、
その後、だんだんわけの分からない言動が増えたのだけど、
昔からの口癖は、しっかりそのままだった。
◇◇◇ 平成2年1月1日
正月の神事に合わせて、100人近くの人が教会(=家)に集まり、
新年を祝う。
祖母は耳も遠く、呆けもかなりひどくなっていて、
【今】のことはあまり理解できないようだったが、
宴会では、お屠蘇代わりに1合の酒を呑み、みなの手拍子で、
十八番 『串本節』 を披露した。
で、大喝采をうけたそのあと、ポツリ。
「わし、今日の酒はまだ飲んでへんなぁ~?」
マジなのかボケなのか、一同大うけ。
翌2日~3日、私は毎年友人宅で新年会があり、
それを終えて午後帰宅。
玄関から駆け寄ってきた叔母に、
祖母の死を伝えられた。
・・・が、97歳だか8歳。(かぞえ歳?)
もう、誠にもって「大往生」である。
集まった人も、泣き笑いのにぎやかな通夜。
そして、思い出しては繰り返される『串本節』の大合唱♪
祖母らしい、最期であった。
oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○
明治時代、ただでさえ婿養子の祖父は肩身が狭かっただろうと思う。
祖母は性格もかなりはっきりしていたので、「教会のサッチャー」と呼ばれてた!
それにしても、ばあちゃん。 「三度くう 【メシ!】」って!!
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◆ つぶやき
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◇ 文明開化とポリシー
明治生まれの祖母は、牛肉はゼッタイ食べなかったが、鯨は好きだった。
今の人に分かるかな~。
oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○ oΟ◯"..o○
毎回言います!!
「だんだんハッピーな人生になりますから~♪
で、今日は一服 ~―γ( ̄ο ̄)oΟ◯".o○ 」
《次号より予定》
○両親の夫婦喧嘩 ○遺伝子疾患を持っていた父のこと○チョーわがまま娘の母のこと
○事故でなくなった次兄のこと●痴呆症の祖母のこと●神様のこと
●不良・バイク●水商売・クラブ活動●教師&舎監●遺伝●盗聴器●出会い●結婚
●DNA診断●不妊症●ギャンブル・・・